母の日はいつ? 世界各国の母の日のルーツと由来

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母の日はいつ?

母の日は日頃苦労の多い母親に感謝の気持ちを表す日です。

アメリカから始まった行事と思われることが多いみたいですけど、

起源はもっと古く、祝日も国によってちがいます。

母の日、Mothering Sunday、 Mother’s Day、Muttertag、Dia de la Madre

最もポピュラーな母の日は、

アメリカのMother’s Dayで五月の第二日曜日。

世界各国の母の日ルーツと由来

19世紀後半、アメリカは南と北に分かれて戦いました。

南北戦争です。

この時、ウェストバージニア地方の

アン・ジャービスという女性がMother’s Work Daysを提唱して、

母親達が結束し、敵味方の区別なく負傷兵士を看病しました。

これに影響された女性参政権運動家のジュリア・ウォード・ハウが、

南北戦争終結後に「母の日宣言」を行い、

二度と息子達を戦場に送り出さないように求めました。

しかし、ジュリアの運動は拡がらなかった。

1907年、アン・ジャービスの娘アンナは、

母が日曜学校の教師をしていた教会に白いカーネーションを捧げました。

白いカーネーションは母アンが大好きな花でした。

翌1908年5月10日、アンナに共感した人々が教会に集まり、

白いカーネーションを贈って「母の日 Mother’s Day」を祝いました。

アンナの提案で全国に広がり、

1914年、五月第二日曜日が母の日と定められました。

日本では、

1931年に大日本連合婦人会がの誕生日である3月6日を

「母の日」と定めました。

しかし、

1937年5月8日には「森永母の日大会」が豊島園で開催されました。

母の日が定められた月日

第二次世界大戦終結後、1949年頃から、

アメリカにならって五月第二日曜日を母の日と定めました。

母の日の起源はキリスト教の四旬節・復活祭・聖霊降臨祭にあります。

キリスト教の創始者イエス・キリストはユダヤ教の司祭達と対立し、

当時イスラエルを支配していたローマ帝国軍に引き渡されました。

ローマ軍はユダヤ教司祭達の求めに応じて、

イエスの死刑を執行しました。

しかし、イエスは三日目によみがえり、

弟子や母マリアに別れを告げて昇天したそうです。

イエス・キリストがよみがえったことを祝う行事が

復活祭イースターです。

復活祭の前の46日間を四旬節といい、復活祭の準備期間でもあります。

ちなみに、四旬とは40を意味しますが、日曜日を除くので46日になります。

四旬節の間は禁欲生活を送り、断食する人もいたそうです。

復活祭より五十日目、

集まって祈っていた弟子達や信者の上にキリストの聖霊が降臨!

これを聖霊降臨祭といい、だいたい五月上旬頃です。

キリスト教以前のヨーロッパでは3月4月に春の祭が行われていたから、復

活祭などはその名残なのでしょう。

17世紀頃、ヨーロッパでは復活祭に教会で、

奉公に出た子供が母親に会えるようにしました。

世界の母の日の月日

ヨーロッパ各国で、

母の日は復活祭から聖霊降臨祭の頃に定められていることが多いのです。

つまり、グルジア・セルビア・ブルガリアなどは四旬節中の3月初旬、

イギリスやアイルランドは四月第四日曜日、

ハンガリー・スペイン・ルーマニアは5月初め、

やはり多いのが五月第二日曜日で、

ドイツ・カナダ・イタリア・ベルギー・シンガポール・南アフリカ共和国等々。

四旬節に入る前に祝ってしまおうというのがノルウェーで2月。

スラエルはユダヤ歴第11月、

ロシアは11月の最終日曜日、

タイは8月としています。

母の日に歌われる讃美歌の文句には、

切ない涙を誘われます。

「春は軒の雨、秋は庭の露 母は涙かわく間なく祈ると知らずや」 讃美歌510

母の日には、

母が健在でいる者は赤いカーネーション、

母のない方には白いカーネーションを飾ります。

まとめ

その昔、

母の日にちなんで「わたしのお母さん」という作文を書かせたことがあります。

の子が私に

「わたし、お母さんがいないの。どうしたらいい?」と聞きました。

私は何も言えませんでした。

原点に戻って、みんなで白いカーネーションを

飾ってもいいのではないでしょうか?

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