日本の花火 そのルーツと戦国時代から現代までの歴史

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花火のルーツ

六世紀の中国で火薬が発明されると、花火を製造するようになっていきました。

花火は火薬に金属片を混ぜて包んだものです。

当時は、おもちゃや鑑賞用ではなく、

合図を送るための狼煙(のろし)

敵軍に打ちこんでおどす武器として使われました。

火薬がヨーロッパに伝えられると、十三世紀頃からイタリアを中心に花火が製造され、

王侯貴族がイベントなどで打ち上げて楽しみました。

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日本の花火 戦国時代から現代までの歴史

日本の花火に関する記述は室町時代、五代将軍足利義教(あしかがよしのり)の頃、

公家の万里小路時房(までのこうじときふさ)の日記に初めて見られるそうです。

その後、1543年に鉄砲が伝来するようになると、火薬の製造も盛んになりました。

しかし、火薬は貴重な武器ですので、花火にして眺めて楽しむことなど許されなかったそうです。

しかし、鉄砲の使用が増えるにつれ、火薬の製造量も増えたので、

花火を楽しむゆとりも出来てきました。

この花火は宣教師や中国人など外国人が作っていました。

戦国時代

手筒花火による のろし(狼煙が主な目的で

合戦の際に味方の陣への合図に使用されていたらしいです。

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徳川家康が駿府城内で花火見物をしたという記録があります。

織田信長が安土城で手筒花火を打ち上げている様子など、

想像するだけでその時代の趣を感じます。

やがて戦国時代も終焉を迎え江戸時代になると、

遠慮しないで火薬を花火に使えるようになります。

日本独自の花火の製造が始まりました。

「隅田川以外で花火の打ち上げを禁止する」

という命令を幕府が出すほどになりました。

 

日本最初の花火屋の店

1659年には、鍵屋弥兵衛が

日本で最初の花火屋の店

を両国横山町に開きました。

1733年、

八代将軍徳川吉宗は隅田川の水神祭で

日本最初の花火大会を開催しました。

関西地域では飢饉、江戸ではコレラの流行で多くの死者が出ました。

吉宗は死者の御霊を慰めて、悪霊を祓うために花火を打ち上げました。

これが、毎年五月の末に行われる両国川開きの花火大会となりました。

鍵屋の奉公人が独立して玉屋という花火屋を開きました。

鍵屋と玉屋はいいライバルとなったそうです。

これとは別に、狼煙などから発展した武家花火があります。

江戸の大名屋敷では競って花火を打ち上げて、庶民を喜ばせました。

特に、紀州・尾張・水戸からなる徳川御三家、

伊達家の花火がすばらしかったそうです。

横に展開し、仕掛けに工夫する町人花火と、

高く縦に展開する武家花火が結びついて、今日の華麗な花火が生まれました。

明治になると、外国から様々な金属が入って来たので花火の色も増えました。

1889年2月11日、

大日本帝国憲法発布を祝って

二重橋から大規模に花火が打ち上げられました。

その後、規制が厳しくなり、専業花火師が活躍するようになりました。

しかし、第二次世界大戦が始まり、

1937年に両国の川開きが中止されたそうです。

川開きが復活したのは、

終戦後の1948年8月1日です。

江戸の頃、花火は夏のものだったそうです。

両国の川開きから江戸の夏が始まります。

今でも、花火大会は夏に多く見かけられます。

全国の花火大会

仙台七夕花火大会は8月1日、

秋田県大仙市の全国花火競技大会は8月第4土曜日、

東京両国の川開きは7月下旬、

長岡まつり大花火大会は8月2日3日、

その他、7月下旬から8月いっぱい、各地で花火大会が開かれます。

ですが、花火は夏だけのものではないみたいですね。

土浦全国花火競技大会は10月3日、

秩父夜祭り花火大会は12月3日、

熱海では12月末に花火大会を開きます。

洞爺湖では4月28日から10月31日まで、

毎晩450発の花火を打ち上げます。

しかし、猛暑の一日が終わり、涼風の立ち始める宵、

ゆかた姿でうちわ片手に花火を眺めるのは、

日本文化の風情があっていいですね♪

花火を見ながら、「玉屋ァ」「鍵屋ァ」

と声をかけるのは江戸の名残りですが、

残念ながら玉屋は火事を出したために

一代でつぶれてしまいました。

ただ、その花火の美しさを忘れない人々だけが

玉屋の名だけを残しました。

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