山王祭を天下祭と呼ばれていた歴史と起源

mikoshi

山王祭

山王祭は六月中頃に行われる赤坂日枝神社の大祭で天下祭と呼ばれました。

江戸時代は、旧暦(太陰暦)六月十五日に行われていました。

山王祭・神田祭・深川八幡祭を江戸の三大祭といいます。

また、大阪の天神祭、京都の祇園祭と並び、日本三大祭の一つでもあります。

ここでは山王祭を天下祭と呼ばれていたルーツと歴史についてお伝え致します。

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山王祭の歴史

山王祭は赤坂日枝神社の祭礼です。

正しくは、赤坂山王日枝神社といい、日吉山王社、日吉山王大権現社とも呼ばれます。

御祭神は大山咋神(おほやまくひのかみ)です。

1478年、太田道灌は川越の無量寿寺の日枝神社を勧進しました。

その後、徳川家康が江戸城内に遷座して、江戸城鎮護の神としました。

日枝神社は徳川将軍家の産土神(うぶすながみ)となったのです。

三代将軍家光は日枝神社を城外の麹町隼町に遷座して、一般庶民が参拝できるようにしました。

四代将軍家綱の時に、江戸城の裏鬼門に当たる現在地に遷座されました。

1615年、家光は祭行列を城内に入れて見物しました。

この時から、毎年、山王祭の祭行列は江戸城内に入り、将軍家が上覧するようになりました。

しかし、祭礼費用の町民負担が重くなったので、1681年以降は、神田祭と隔年で交互に行うようになりました。

このため、山王祭と神田祭は天下祭と呼ばれるようになったのです。

神田明神は江戸町民の守護神ですが、山王日枝神社は江戸城(将軍家)鎮護の神なのです。

神田祭と山王祭は、将軍家が上覧する年を本祭とか大祭とか表(おもて)とか言います。

上覧しない年を裏とか陰祭とか言います。

江戸時代は干支(えと)によって表・裏が決まっていましたが、

現在は西暦年偶数の年が山王祭の大祭となっています。

山王祭の見どころは?

山王祭の見どころは4つあります。

1 祭行列 神幸祭

御鳳輦(ごほうれん–天皇の乗り物)二基、宮神輿一基、山車(だし)三基を中心に、

王朝装束を着た氏子達500人300mの行列が赤坂という都心を練り歩きます。

江戸時代には、一番の諌鼓鳥(かんこどり)の山車、二番の御幣猿の山車など45基の山車がありました。

交通規制や維持費の増大などの理由で、現在は3基しか残っていません。

現在は、祭行列の将軍家上覧がないので、皇居坂下門外で駐輦祭を行い、

宮司達が神符を献上し、参賀致します。

2 夏越稚児祭

大祭の年には、稚児装束の子供達が茅の輪を潜り、神社の周囲を練り歩き、お祓いを受けて健やかな成長を祈ります。

大祭期間中の日曜日に行われます。

大祭のない年でも、夏越のお祓いは受けられます。

3  大祓い 茅の輪潜り

大暑を迎える前に茅の輪を潜り、身についた罪や穢れを祓う行事です。

鎮火祭も行います。

4 納涼大会

山王神社の境内にずらりと奉納提灯が提げられ、大きなテントの中に櫓(やぐら)が立てられます。

太鼓が勇ましく鳴り響き、浴衣(ゆかた)姿の人達が楽しく「山王音頭」を踊ります。

歌も踊りも覚えやすいので、誰でも参加できますよ。

テントを張るので、雨の日も中止になりません。夜店も出ます。

山王祭の行事日程は、その年によってちがいます。

表・裏に関係なく、毎年行う行事もありますので、日枝神社まで問い合わせて下さい。

日枝神社の御朱印とアクセス

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画像引用元: http://photozou.jp/photo/show/3014660/204268013 
赤坂日枝神社へは東京メトロが便利です。

銀座線 溜池山王駅で下車すれば、出口7から歩いて3分です。

千代田線 赤坂駅からでも、出口2から歩いて3分くらいです。

銀座線・丸の内線 赤坂見附駅からは、出口11から歩いて8分ほどです。

駐車場もあります。

参道は石段になっていますが、神社本殿までエスカレーターで行かれるようになっています

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