マリーアントワネットの母マリア・テレジアと16人の子供

なんと16人もの子宝に恵まれ、オーストリアの大公にまでなり

ハプスブルク家にとっては猛烈な改革派であり

国家戦略大イベントを成し遂げたマリア・テレジア!

マリア・テレジアとその子供達16人の兄弟について、調べてみました^^

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マリア・テレジアと16人の子供

マリーアントワネットの母マリア・テレジアさんってどんな人?

Maria_Theresia

https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/e/eb/Andreas_Moeller_-_Erzherzogin_Maria_Theresia_-_Kunsthistorisches_Museum.jpg

オーストリアのウイーンで生まれる。

若い頃の容姿は知性あふれる美人。

この時代では王族の結婚は政略結婚が主流だったのですが

ハプスブルク家の親戚(多分遠縁)筋にあたる

9歳年上のフランツと恋愛結婚をすることに。
※本当に恋愛結婚だったという事実は定かではない。

また、

ハプスブルク家マリア・テレジアさんの父は、

神聖ローマ皇帝カール6世、オーストリアの君主。

唯一の跡取りだった息子が生後数か月で早世。

跡取りのはずだった男系が途絶えてしまいます。

そこからカール6世は長女マリア・テレジアを

大公として継承することに。

※正式には、神聖ローマ皇后・オーストリア女大公・ハンガリー女王・ボヘミア女王
wikiより引用

父のカール6世没後オーストリアの領有権をめぐっては

オーストリア継承戦争にまで発展して行った。

マリーアントワネットの実家地域であり、

ハプスブルク家ゆかりの場所。

Austria

http://www1.gyb.co.jp/tourlist/info_Tour.php?link=LT04_sp

まるでおとぎ話に出てくるような可愛い風景。

ここで幼少期マリーアントワネットの兄弟たちが

過ごした場所なんですね~ 素敵(笑

ここがマリーアントワネットの実家であり

美しくも格式あるハプスブルク家の王宮。

Austria2

http://blogs.yahoo.co.jp/andmimi_2005/26088492.html

マリア・テレジア、16人の子供たち

【長女】最初の子 (娘)マリア・エリザベ-ト

3歳で死去されました。
(1737年-1740年)

【次女】マリア・アンナ・ヨ-ゼファ・アントニア

(1738年-1789年) ~生涯独身~
学問や美術・音楽などで才能を発揮してウイーンにある芸術学校に通ってましたが、
十代の後半に体の具合(背骨・脊椎)が不自由になってしまいました。
背中が曲がったままの状態になってしまい「せむしの皇女」とあだ名が付けられました。
身体のハンデにあだ名をつけるなんてちょっと気の毒ですね。
また、家族から孤立しており、妹や弟にも疎まれましたが、
唯一彼女に愛情をかけてくれたのが父フランツ1世。
彼女のよき理解者であった。

母である女帝テレジアはプラハに帝国立修道院を建立。
そこの院長にアンナを希望しましたが断りました。
その後、テレジアにクラーゲンフルトのエリーザベト修道院へと希望しました。
母テレジアは熱心に希望する娘を理解しました。
その後エリーザベト修道院すぐそばの土地に城館を建立しました。

妹や弟にも疎まれたこともあり、弟ヨーゼフの妻マリア・イザベラに冷たく接した為か、
以来ヨーゼフとの仲は最悪になり、マリア・テレジアが亡くなった後、
ヨーゼフは宮廷からマリア・アンナを追放した。
最愛の父フランツ1世との思い出の趣味だった自然科学やコインのコレクションも施設へ売却された。
弟のヨーゼフとはよっぽど仲が悪かったんでしょうね~
ヨーゼフは私財を投じるマリア・アンナに冷淡だったが、
1783年修道院付属病院を訪問した際に、
感じのよさに感銘して仲直り支援する事になりました。

最期は望みのとおり聖エリーザベトの日に亡くなった。

【三女】マリア・カロリーネ

二歳で死去
(1739年-1741年)

【長男】ヨ-ゼフ2世

(1741年-1790年)~ハプスブルク家、最初の長男~
母マリア・テレジアと共同で国家の統治を行う。

政策面では、
母の絶対王政(絶対君主制)に対し
ヨーゼフは啓蒙思想の影響を強く受ける。
そこから意見の食い違いが始まった。

兄弟では、
妹のマリーアントワネットがどうしているのか
心配になってヴェルサイユに赴いて、アントワネットと会う。
ヨーゼフは、愛する妹の私生活の愚痴などの話を聞いた。
その愚痴とは
夫の包茎による11年間続いた夫婦生活不満によるものだった。
その後、意見文書を渡した。
夫のルイ16世には包茎手術を勧めた。
その後手術が無事終了した後、
夫婦の結実(床入り)が成功をおさめました。

※後の神聖ロ-マ皇帝ボヘミア王・ハンガリー王

【四女】マリア・クリスティーナ

(1742年-1798年)~嫌われ者・ミミ~
呼び名(愛称)は「ミミ」。
趣味は水彩画。
クリスティーナの誕生日が母マリア・テレジアと
同じなのがうれしかったんでしょうかね~
母親にもっとも可愛がられた娘クリスティーナ。
さらに姉妹の中でただ1人、恋愛結婚を許されました。
悪いクセがあり、母に巧みな兄弟の告げ口。
そんなエコヒイキ・告げ口もあってか
兄弟・姉妹から総スカンを食らうことに。

【五女】マリア・エリーザベト

(1743年-1808年)~美しかった顔も天然痘で人生が一転~
姉妹のなかでは最も美しいと評判だったエリーザ。
適齢期になると、フランス国王ルイ15世と婚姻直前に
天然痘の病に襲われ、顔面には痘痕が残ってしまい
美しかった美貌も失ってしまいました。
その後は結婚を諦めて、インスブルック修道院の院長を務めた。

【次男】カ-ル・ヨ-ゼフ

(1745年-1761年)
天然痘に羅患した後15歳という若さで死去。

【六女】マリア・アマ-リア

(1746年-1804年)~怒ったアマーリア~
マリア・アマーリアは22歳の時、恋した彼と会うためにウィーン宮廷を頻繁に訪れていた
イケメンで知的なツヴァイブリュッケン公カールに恋してたのです。
しかし結婚は認めてもらえず、
政略結婚によりイタリアパルマ公フェルディナンド・ボルボーネと嫌々結婚させられる。
※ボルボーネの姉・イザベラは長男ヨーゼフ2世の妻にあたる。
母親は自由な恋愛だったから、ムシャクシャしてたんでしょうね~
頭にきたアマーリアは、荒れた日々を送る。
母からの注意をすべて無視したため、勘当され帰国禁止にされた。
お気の毒。
晩年はプラハで過ごした。

【三男】レオポルド2世

(1747年-1792年)
トスカ-ナ大公(イタリア・フィレンツェエリア)を受け継いだ。
約25年間フィレンツェを支配する。

【七女】マリア・カロリーネ

0歳で死去
(1748年)

【八女】マリア・ヨハンナ・ガブリエレ

天然痘に羅患した後12歳という若さで死去。

(1750年-1762年)

【九女】マリア・ヨ-ゼファ

(1751年-1767年) ~嫁入り前に起きた大悲劇~
ナポリ・シチリア王フェルディナンド1世との縁談が進んでいて
婚礼でオーストリア・ウイーンから出発するときに天然痘が発病。
その後、天然痘で死亡。

【十女】マリア・カロリ-ナ

(1752年-1815年) ~しっかり者のカロリーナ~
姉マリア・ヨーゼファが急死した後、
マリア・カロリ-ナがナポリのフェルディナンド4世の元へ嫁ぐことになった。
政権や政策に対してはやる気のない旦那フェルディナンド4世に代わって
スペインからナポリ王国を開放させるなど、政策はカロリーナが切り盛りしていった。
ナポレオンの侵攻により、晩年はオーストリアへ亡命しウイーンで没した。

【四男】フェルディナント・カ-ル・アントン

(1754年-1806年)
オ-ストリア・エステ大公

【十一女】マリア・アントニア(マリー アントワネット)

(1755年-1793年)~マリーアントワネット~
フランスルイ16世の王妃 マリーアントワネット

詳しく解説してます。

マリーアントワネット処刑された理由

【五男】マクシミリアン・フランツ

(1756年-1801年)~末っ子~
ケルン大司教として生涯活躍した。

まとめ

なんと16人の子供を産みながらも、ミミを除く子供たちを
政略結婚させて、ハプスブルク家繁栄へと導いた母マリア・テレジアさん。
19世紀ヨーロッパ激動の時代に戦ったスーパーおばちゃんにはエールを送りたい。
それにしても兄弟でも一人ひとりがぜんぜん違う
それぞれが十人十色なんだな~って思いました。
あなたならどう思いますか?

ここまで読んでいただき有難うございました。

以下の画像はオーストリアウイーン
マリア・テレジア広場に鎮座する
マリア・テレジア像です。

t-maria

http://cooljapanx.web.fc2.com/austria/w-mariatp01.jpg

家系図です^^

hapusburg

http://nao8148.blog.eonet.jp/.shared/image.html?/photos/uncategorized/2009/02/02/hapusburg2.jpg

アイキャッチ画像の引用元
https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/e/eb/Andreas_Moeller_-_Erzherzogin_Maria_Theresia_-_Kunsthistorisches_Museum.jpg

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