ひな祭りの由来と歴史・ 上巳の節句飾り方

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ひな祭り

三月三日はひな祭りの日です。
また桃の節句とも呼ばれてます。

節句とは・・・
江戸幕府が、1年を通じて5節句を定めた行事を指してます。

行事 月日
1 人日(じんじつ)  1月7日 七草の節句
2 上巳(じょうし)  3月3日  桃の節句・ひな祭り
3 端午(たんご)  5月5日  菖蒲の節句
4 七夕(しちせき)  7月7日  七夕(たなばた)
5 重陽(ちょうよう)  9月9日  菊の節句

参考文献:Wikipedia 五節句

 

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ひな祭りが三月三日となった由来

三月三日となったのは、

明治六年(1873)にグレゴリオ暦(新暦)が採用になったのが由来です。  

もともと三月三日は上巳(じょうし)の節句で、平安時代には、

この日に身についた穢(けが)れを紙人形に託して水に流す「流し雛」の習慣がありました。

この穢れを祓(はら)う上巳の節句と女児のひな遊び(人形遊び)が結びついていったそうです。

雛は女児のけがれを祓い、すこやかな成長を守るものとされました。

上巳の節句が人形遊びと結びつき、雛祭りとなったのは戦国時代の末期の頃です。

武家の娘は雛人形に一生の災厄を背負ってもらう願いをこめ、嫁入り道具の一つとした。

戦争の駆け引きの道具にされた姫達の悲しみが雛人形に託されました。

乱の世の中が終わり、平和な江戸時代になると、雛祭りは全国に広がり、

さらに農民や町人の間にも広がりました。

雛人形も初めは男雛と女雛が一対となった内裏雛(だいりびな)で、立雛と座り雛があった。

十二単(じゅうにひとえ)を着た元禄雛や大型の享保雛が現れる一方、

幕府の節約令が出ると、小さな豆雛も作られました。

江戸時代後期から幕末にかけて、現代につながる宮中の姿をまねた古今雛が広まり、

官女や五人ばやし、左大臣右大臣、仕丁などのお供の人形や、食器やたんす、

牛車(ぎっしゃ)などの道具類、御殿や金びょうぶを飾るようになりました。

雛祭りは別称桃の節句という言われがあります。

旧暦三月三日は今の四月上旬だから桃の花盛り。

日本人は桜が好きですが、中国人は桃を愛します。

上巳の節句

中国から伝わる風習だから、桃を飾ったのだろう。

東北や北陸の雪深い土地では、今でも旧暦で雛祭りを祝います。

桃の開花に合わせています。

雛祭りのごちそうは、赤白緑の三色ひしもち、白酒にひなあられ。

金糸玉子をたっぷりかけたちらしずし、

ミニサイズの紅白かまぼこにだて巻き、はまぐりの吸い物。

サザエのつぼ焼きをつける地方もあります。

はまぐりの吸い物には、いろいろ説がありますが、

もとは鯛を使った潮汁(うしおじる)だったが、

八代将軍徳川吉宗(とくがわよしむね)が「鯛は高価でぜいたくだ。」

江戸湾でたくさん取れるはまぐりなら安い。

そこで吉宗はまぐりの吸い物にしろ! と言ったためらしい。

節約倹約の好きな吉宗の言いそうなことだ。

雛人形の飾り方は、時代や地方によってちがう。

人形を飾り始めるのは、二月の立春を過ぎたらいつでもいい。

たいてい、二月の中旬から下旬にかけて人形を箱から出します。

しまう方が問題で、「三月三日を過ぎたらすぐにしまわないと、結婚が遅くなる」と言われています。

しかし、これには全く根拠がない。

よく晴れた日に、のんびりとしまえばいいんです。

男雛と女雛の位置だが、江戸時代までは男雛が左(向かって右)である。

日本、いや、東洋(中国・韓国等)では左が上位である。

だから、右大臣より左大臣の方がえらい。ところが、西洋では右が上位。

右がright(正しい)というくらいである。

明治維新後は西洋にならって、

天皇が右(向かって左)に立つようになったので、男雛も右に位置するようになった。

ただ、京都などでは、昔通りに男雛が左(向かって右)にくる。

地方によって、雛人形の位置がちがいます。

段飾りの左大臣、右大臣、桜と橘(たちばな)の位置も要注意。

これは、天皇から見た右と左、つまり男雛から見た右と左なので、

左大臣と桜は、向かって右に飾らなければならない。

雛祭りは女児のすこやかな成長と幸せを祈る祭りです。

雛人形は女児を災厄や不幸から守ってくれます。

いくつになっても、毎年人形を飾り、雛祭りを祝いたいですね♪

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