ベルリンの壁崩壊とルーツについて

berlin-wall

10月3日は東西に分かれていたドイツが統一した日。

私達が一番知っているのは

ベルリンの壁の崩壊だと思います。

ベルリンの壁が壊されそして統一されるという

流れが一般的に知られている内容です。

しかし、

私達のあまり良く知られていないドイツ統一の話があります。

そのことについて説明していきます。

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ベルリンの壁のルーツ

ベルリンの壁はドイツが冷戦戦争をしていた時に出来たものです。

冷戦を行なっていた時、

ドイツの政府は西と東で政治が分断されていた

と言っても過言ではありませんでした。

東ドイツでは過酷な社会主義化が進んでおり、

その被害に一番あっていたのが国民でした。

長く働き尽くした労働者や知識のあるものへの反発が強くなるにつれ、

その人々は少しずつ西ドイツへと逃げていってしまったのです。

その際経由していたのが西ベルリンです。

しかし、それでは当然東ドイツの社会は回らなくなっていまいます。

人の流れを東ドイツから西ドイツへ向かわせないように

政府が取ったのがベルリンの壁でした。

はじめは、きちんと提示した内容を渡していたのですが、

西側はその意見を受け入れること無く

拒否し続けた事から壁が出来たのです。

作られた当初は私達の知っている壁ではなく、

鉄条網で西ドイツを囲うように作られていましたが、

その後それが壁へと変わりました。

ベルリンの壁の崩壊

ドイツ統一の日は確かに10月3日なのですが

実際にこのきっかけとなったベルリンの壁は、

その前年の11月9日のことでした。

この壁の崩壊は実のところ国民たちによる暴動と知られている事が多いのですが、

メディアが誤った情報を国民に流したのがきっかけだったそうです。

詳しくお話すると以前から統一の話があげられており、

実際に目前まで来た時メディア内にて

「統一されることが決定した」という誤報が流れました。

それを聞いた国民は大変喜んだのか、

ベルリンの壁を壊しにいってしまったそうです。

しかし、そんなメディアの事を知らない政府は国民の暴動だと勘違いをし、

今現在私達に伝えられている暴動という言葉になっているそうです。

現在の「ドイツ統一の日」

10月3日が「ドイツ統一の日」として祝日となったのは1990年のことでした。

当初はベルリンの壁が破壊された11月9日にしようという案もあったのですが、

結果的には政府で制定された10月3日になったのです。

2004年では当時の首相が10月の第1日曜日に統一の日を変えようと提案したのですが、

祝日を軽視している、労働時間が増えてしまうと言った意見が

市民から挙げられてきたので、否決になりました。

この日毎年ドイツでは公式行事が行われます。

これが少し変わっており、行われる都市は毎年違っているのです。

この行なう都市の順番はその都市の人口数が少ない順で行われているのですが、

その後人口の数が移住した国民も出てきたことから

多少変わってきてしまっているそうです。

まとめ

冷戦戦争の被害をもろに受けていたドイツが出した答えが

まさにベルリンの壁と言っても良いでしょう。

人の流れをどうしても止めなくてはならなかった、

そんな当時のドイツ政府の焦りを大きく感じる部分だとかんじます。

また、誤報によりベルリンの壁を壊すことになってしまったのは

ある意味良い結果を招くきっかけになったかもしれません。

もしも、あの時壊れていなかたら

ドイツ統一はもっと先の話だったかもしれません。

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