広島原爆ドーム 被爆前の建物と当時の状態・その後の流れ

小学生の頃から歴史の授業で

広島原爆ドームの事を先生から聞いていましたよね。

実際は広島平和記念碑という名前で世界遺産に登録されています。

その悲惨な建物の様子から

当時の恐怖を感じれるようにと残された建物ですよね。

元々は広島県物産陳列館として建っていた建物ですが、

原爆が落ちたことによって広島県産業奨励館と呼ばれるようになりました。

負の世界遺産と呼ばれるのは、

同じよう悲劇が繰り返されないようにと願いを込めて呼ばれる異名でもありますね。

歴史の授業で習っていることでもあるのでみなさんも当然詳しくご存知だと思われますが、

原爆ドーム被爆前の建物や当時の状態、その後の現在に至るまでの流れなど

について振り返っていきたいと思います。

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被爆前は何の建物だったのか・・・

広島県広島市中区にある原爆ドームですが、

元は広島県産の製品の拠点として広島県物産陳列館が建設されていました。

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http://www.roswitha.jp/

当時の広島は日清戦争の大本営が置かれていたことにより、

軍都として発展していった時期でした。

その発展をきっかけに作られたのが「広島県物産陳列館」です。

被爆当時の状態・・・

ご存知のように1945年8月6日午前8時15分、

第二次世界大戦中アメリカ軍による原子爆弾が落とされました。

爆弾が落とされたことにより

当時の広島はみるも無残な焼け野原と化し

広島県物産陳列館もコンクリートから骨組みが見えるなど奇妙な姿へと変貌してしまいました。

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http://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/P/Pkan/20080916/20080916101024.jpg

しかし、ほぼ真上から落とされた原爆がこの程度の影響で済んだ事に疑問を持ちますよね。

理由として考えられることは3つほど挙げられています。

◆衝撃波を受けた方向が(真上)ほぼ直上であった。

原爆の落とされる目印になったことにより

周りに流れる衝撃から逃れられた事を意味しているんだと思います。

◆窓が多かったことによって爆風が窓から流れていくための条件が揃っていた。

ドームの中の気圧が窓が割れたことによって

外気と差がなくなり全焼まではいたらなかったと考えられます。

ドーム部分は骨組みだけ残す形となっていましたし、

事実原爆ドームの窓が多かった事から考えられる理由です・

◆ドームの部分は屋根が銅板で出来ていた。

建物の本体とは異なってドーム部分は融点の低い銅で屋根が作られていました。

そのため、

原爆が落とされる直前にドームの屋根が溶けることにより爆風の逃げ道を作ったのだと考えられます。

爆心地とまで呼ばれる周辺に比べ何故か建物が押しつぶされるなどの結果にならなかったのか、

疑問や推測はいくつか挙げられるのですが、実際は何一つわからないのが現状です。

因みに、当時ここで勤務していた人は当然全員が死亡となっていますが、

運良く8時ころに帰路に向かっていた従業員1人が勤務していた中での唯一の生存者となっています。

その後現在に至るまでの流れ

当然焼け野原となった広島にこのドーム状の鉄組はよく目立ちました。

良くも悪くも目立つこの建物は戦争が終わる頃、

既に市民から原爆ドームと呼ばれていたそうです。

その後現在に至るまでの流れでは、復興を進めることにより

建物を取り壊す計画や修復する話も出てきました。

建物を管理していた「広島県産業奨励館廃墟」の人も同情を引こうという意思を感じたのか

「自分はアバタ面を世界に誇示し同情を引こうとする貧乏根性を、

広島市民はもはや精算しなくてはならない。」と新聞に書き立てるほどだったようです。

しかし、考えは変わって1949年当時「広島平和記念都市建設法」が制定されました。

これにより平和を誠実に実現しようという意思が広まったそうです。

この第1計画として行われたのが、平和記念公園の計画です。

この公園は原爆ドームを北に起点としておいて

原爆死亡者慰霊碑・広島平和記念資料館が南北の方向に一直線に位置するようになっています。

これにより原爆ドームが一層際立つシンボルと化しました。

2016年 現職の米大統領オバマ氏初の広島訪問 

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http://mainichi.jp/graphs/20160527/hpj/00m/040/008000g/13

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http://mainichi.jp/graphs/20160527/hpj/00m/040/008000g/11

現職の米大統領オバマ氏初の広島訪問 
「核兵器なき世界」をテーマに
平和記念公園で演説しました。

まとめ

第二次世界大戦について一番わかりやすく書かれている作品は個人的にマンガの「はだしのゲン」だと思います。

誰もが名前くらいは聞いたことがあると思いますが、

この話は広島に住む1人の男の子が主役で戦争によって起こった日本の変化を巧妙に描かれていると思います。

今でも戦争は行なうのを禁止している日本ですが、

正直これからどうなっていくのか心配になる時もありますよね。

戦争を知っている人が着々と寿命を迎え亡くなっていくなかで、

戦争への恐怖もなくなってしまうのではないかという不安からくるものだと思います。

でも、その度この原爆ドームを見て大丈夫だと安心出来るのではないでしょうか。

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